芸人やす子の生い立ちが壮絶な5つの理由!女芸人になるまでの経緯がすごい!

芸人やす子
アフィリエイト広告を利用しています。

お笑い芸人として人気急上昇中のやす子さん。

その明るい笑顔の裏には、想像を超える壮絶な生い立ちがあったことをご存知でしょうか。

幼少期から数々の困難を経験しながらも、それらを乗り越えて芸人として活躍する姿に、多くの人が感動と勇気をもらっています。

今回は、やす子さんの生い立ちにまつわる5つの驚きの事実をご紹介します。

彼女の強さと明るさの源泉に迫ります。

目次

芸人やす子の生い立ちが壮絶な5つの理由!

芸人やす子

元自衛官のお笑い芸人として人気のやす子さん。

明るくて憎めないキャラで人気ですが、生い立ちは壮絶で驚くエピソードがたくさんありました。

どんな幼少期を過ごしてきたのでしょうか?

詳しくまとめました。

① 極貧生活

芸人やす子 幼少期 卒アル

やす子さんの幼少期は、非常に厳しい経済状況にありました。

やす子さんの母親はシングルマザーとして昼夜問わず働いていましたが、それでも生活は困窮していました。

・食事は学校の給食に頼り

・夏休みには50円で買ったパンの耳を食べて飢えをしのぐ

② 母親との関係

芸人やす子

母親は、やす子さんが2歳の時に離婚し、シングルマザーとして彼女を育てました。

しかし、その後の母親の再婚と再離婚など、家庭環境は非常に複雑でした。

高校時代には母親との関係が悪化し、結果として児童養護施設で生活することに…。

このような複雑な家庭環境は、多くの人にとってはトラウマになりかねない経験です。

しかし、やす子さんはこの経験を「母との関係があったからこそ、今の自分がある」と前向きに捉えています。

彼女の明るさや優しさは幼少期の経験が大きいですね。

③ 養護施設出身

芸人やす子

やす子さんは中学生の頃から高校時代のほとんどを児童養護施設で過ごしました。

施設に保護を求めたのは、家庭環境の複雑さから逃れ、安定した生活を求めてのことでした。

施設での生活は、彼女にとって初めて安定した食事と生活環境を手に入れる機会となりました。

しかし同時に、新しい環境への適応や、様々な背景を持つ子どもたちとの共同生活など、多くの困難も伴ったことでしょう。

それでもやす子さんは、この経験を「多くの仲間と出会えた貴重な時間」と振り返っています。

助けを求める場所でがあり、救いの手があって本当に良かったです。

④ 高校時代のいじめ

芸人やす子

やす子さんの高校時代は、想像以上に辛い経験の連続でした。

友人たちの悪口に同調しなかったことで孤立し、クラスメートから無視されるいじめを受けました。

トイレで昼食を取る日々

担任教師が彼女の施設生活を他の生徒に話してしまい状況はさらに悪化

「便所でご飯、あとは図書室で過ごすってことをやっていた」としたうえで「人とうまくいかないことが多いです」ともらした。
【引用元:スポニチ

家庭や学校で居場所がなく、本当に辛い毎日だったと思います。

⑤ 自衛隊に入隊

芸人やす子

高校卒業後、やす子さんは安定した生活を求めて自衛隊に入隊しました。

滋賀県の教育隊で3ヵ月を過ごし、その後京都の大久保駐屯地の施設科に配属されました。

厳しい訓練や規律ある生活は、彼女にとって大きな挑戦だったことでしょう。

2年後に自衛隊を辞めることになりましたが、この経験が彼女の精神力と体力を鍛え、後の人生の基盤になったと言えます。

規律正しい生活や団体行動の経験は、芸人として活動する上でも大いに役立っているのではないでしょうか。

芸人やす子が女芸人になるまでの経緯がすごい!

芸人やす子

やす子さんは高校卒業後、自衛隊に入隊し、滋賀県の教育隊や京都の大久保駐屯地で2年間勤務しました。

しかし、自衛隊を辞めた後も夢を諦めず、清掃員として働きながらお笑いの道を模索しました。

なぜ清掃員を選んだのか?については、以下が理由でした。

一人でコツコツできる仕事をしたいと考えた
・即座に就ける仕事だった
デビュー当初は、清掃員として働きながらお笑い活動を続けていた

やす子さんは次の就職先を決めずに、自衛官を勢いで辞めたのかもしれませんね。

2019年に友人から誘われてお笑いの道ソニー・ミュージックアーティスツに所属し、ピン芸人としてデビュー。

元自衛官という異色の経歴を活かしたネタで注目を集め、特に2021年の「ぐるナイ おもしろ荘」での登場が彼女のブレイクのきっかけとなりました。

これからの活躍も応援したいですね。

目次