参政党からの出馬を表明した河西泉緒さん。
銀座の高級クラブのオーナーママとして、メディアにも取り上げられた起業家です。
そんな河西泉緒さんは、かつてパティシエの道を歩んでいました。
パティシエから出馬に至るまでの、河西泉緒さんについて調査していきます。
河西泉緒の学歴は日本菓子学園卒!
河西泉緒さんは製菓の専門学校「日本菓子学園」を卒業しています。
日本菓子学園とは
東京・二子玉川にある菓子業界が設立した、日本で唯一の製菓専門学校
当時その学校に入学できるのは菓子職人の子供だけ、という特別な専門学校でした。
まさにプロを育成する製菓の専門学校なんですね。
河西泉緒さんは5年間働いていたケーキ屋の店主から推薦してもらい無事入学。
自分で学費を払いながら、日本菓子学園で1年間パティシエの勉強をしていました。
4歳からお菓子作り
母親の影響で4歳の頃から料理を始めた河西泉緒さん、来客にはケーキを振る舞うほどの料理好きでした。
河西泉緒さんは、中学2年生からケーキ屋でアルバイトを開始しています。
将来やりたいことのためならいいよ
と中学校でも特例で認められていたそうです。
15歳の時には、テレビ東京の「TVチャンピオン」のお菓子名人選手権に出場。
レシピは母親仕込みでしたが、準優勝するほどの腕前の持ち主でした。
高校入学後もケーキ屋のアルバイトを続け、卒業後に日本菓子学園に入学しています。
日本菓子学園卒業後パティシエへ
河西泉緒さんは日本菓子学園卒業後に三宿にあった、「ボンマルシェ」というお店で働き始めました。
しかし、激務な仕事のため体を壊してしまいます。
・勤務は朝9時から夜は9時まで
・手取りは16万円未満
・風呂なしアパートで一人暮らし
・売れ残りのケーキで空腹をしのいだ
お金も睡眠もままならず、最低限の生活も送ることができませんでした。
パティシエとしてエリート街道まっしぐらでしたが、22歳の時に辞めてしまいます。
河西泉緒は元パティシエで出馬するまでの苦労がすごかった!
22歳でパティシエを辞めた河西泉緒さん。
参政党から出馬するまでに、波乱万丈な人生を送ります。
パティシエから料理人へ
河西泉緒さんは23歳から料理人の道を歩み始めます。
世界に通用する仕事がしたい
という思いで、単身京都へ行き黄檗山万福寺で精進料理を勉強し始めます。
なんと、400年の歴史の中で女性が弟子入りしたのは初めてのこと。
精進料理を覚えた後、さらに料理の勉強をするために京都の料亭で1年修行を重ねました。
料理人を辞め東京へ
東京へ戻った後は、コスメブランド「フレッシュボディマーケット」や、ニューヨークのブランドの代理店を立ち上げビジネスを開始。
代理店の仕事だけでは稼げず、時々アルバイトでホステスの仕事もしていました。
自分が輝く仕事しているのと楽しい
今まで飽き性だったが、やっと天職を見つけた河西泉緒さん。
最速の4年半で、銀座の高級クラブのオーナーママに上り詰めました。
クラブのオーナーママ以外にも、ジュエリー会社や投資会社を設立し、起業家としても成功を収めました。
出馬の理由は?
河西泉緒さんは2018年、お酒の飲みすぎが祟り脳梗塞で倒れました。
その時に命を救ってくれたのが、「参政党」の共同代表である吉野敏明先生でした。
政治の世界で発言してみないか
吉野敏明先生からの強い要望があったと明かしています。
最初は躊躇した河西泉緒さんでしたが、
・日本の経済が不安
・メディアへの不信感
・子供たちの将来が心配
以前から、日本の危機を強く感じ出馬を決意。
「日本を良くしたい、幸せにしたい」
という熱い思いが、河西泉緒さんを出馬に向けて駆り立てました。
日本をどう変えてくれるのか楽しみですね。
まとめ:河西泉緒の学歴は日本菓子学園卒!元パテシェで出馬するまでの苦労がすごかった!
河西泉緒さんのパティシエから出馬までを調査しました。
意外な経歴ですが、とにかく行動力がすごいですよね。
今後の日本を変えるため出馬を決めた河西泉緒さん、今後の動向に注目です。